AIが裁判官になる。しかも、人間の感情や空気を読む力ではなく、統計と予測で「妥当」を叩き出す。そんな設定を聞いた瞬間、頭の中で警報が鳴った人は多いはずです。便利そうに見えるのに、どこか背筋が寒い。だけど目を離せない。『MERCY/マーシー AI裁判』は、その気味の悪さを上手くエンタメの心臓部に繋いだタイプの作品です。
この手のAIテーマ作品って、途中で説教くさくなるか、逆に雰囲気だけで逃げるか、どちらかに倒れがち。ところが本作は、緊張感のあるサスペンスにして、ちゃんと生活の話でもある。家庭、責任、仕事、そして「正しさ」を誰に委ねるか。ここが地味に痛い。
まずは作品情報をさらっと
主演はクリス・プラット。相手役にレベッカ・ファーガソン。監督はティムール・ベクマンベトフ。ジャンルはSFスリラー寄りで、AIと司法の交差点を舞台に、人間の判断がいかに簡単に揺らぐかを見せてきます。
上映の形式や公開タイミングも含め、わりと大きな企画として動いているのが見て取れる。こういう作品は、配信で一気見しても楽しいけど、劇場の暗闇で観ると余計に居心地が悪い。良い意味で。
あらすじを語りたいが、全部は言わない
舞台は近未来。AIが司法の判断を補助するどころか、裁判そのものを「高速化」していく社会。冗長な手続き、人間の偏見、地域差。そういう面倒をAIが消していく。効率が上がる。コストが下がる。人々は拍手する。ここまで聞くと、割と現実にも寄っているのが怖い。
主人公は、そのシステムの中心に近い場所にいる男。ある事件をきっかけに、AIの判断が導く結末と、彼自身の倫理が激しくぶつかり始めます。しかも衝突は、社会の大問題というより、家庭の中で起きる。子ども、仕事、失われた信頼。つまり日常の延長線で爆発する。
ねえ、あなたがもし「AIが判断するから公平です」と言われたら、どこまで安心しますか。数字が出す答えって、たしかに強そうに見える。だけど、その数字が拾えないものを、私たちは毎日抱えて生きているわけで。
AI裁判の何が怖いのか。恐怖の正体は意外と地味
AIの怖さは、暴走して世界を支配することではない。分かりやすい終末より、もっと生活感のある方向で刺してくる。たとえばこうです。
- 判断の根拠がブラックボックス化して、誰も説明できない
- 説明できないのに、結果だけは「正しい感じ」に見える
- 責任の所在が薄まり、怒りの宛先が消える
人間の裁判官なら、判断が気に入らなければ批判もできる。偏見があれば疑える。過去の言動も追える。だけどAIは、そこに人格がない。人格がないのに、社会的な権威だけは持ってしまう。これが最悪に厄介です。
そして、本作がやらしいのは、AIを単なる悪役にしないところ。むしろ「便利で助かる」という面をきっちり描く。だから観ている側も簡単に否定できない。ここが気持ち悪い。だが面白い。
クリス・プラットという配役の妙。優しさの顔をした焦り
クリス・プラットの強みは、善人にも見えるし、追い詰められた人にも見えること。筋肉と笑顔があるのに、どこか「自分でも自分を信じ切れてない」表情が出せる。これがAI裁判ものに効く。
AIの結論に反発する人は、感情的な反抗者に見られがち。そこでプラットが立つと、反発が単なる反抗ではなく、「父親としての必死さ」に見えてくる。理屈ではなく、生活が揺れるからだ。ここで観客は苦しくなる。
レベッカ・ファーガソンも強い。強さがあるのに、冷たさだけで終わらない。凍った視線の奥に、ちゃんと疲れがある。こういう疲れが出せる人は信用できる。いや、信用したくなる。
監督ティムール・ベクマンベトフの狙い。画面の圧と、情報の圧
ティムール・ベクマンベトフは、映像で圧をかけるのが上手い監督です。スピード、切り替え、情報の洪水。観客の呼吸を乱す編集で「落ち着けない状態」を作る。AIの世界観と相性が良い。
AI裁判というテーマは、説明が増えると途端にダルくなる。逆に説明を省くと意味不明になる。ここを、映像の体感で誤魔化すのではなく、体感で理解させようとする。その姿勢が見える。正直、好みは分かれる。だが、こういう挑戦は嫌いじゃない。
音楽が地味に効く。ラミン・ジャヴァディの不穏は安心感でもある
本作のスコアを手掛けるのはラミン・ジャヴァディ。あの「熱いのに冷たい」感じが、また来る。盛り上げるのではなく、心拍を一定のリズムで締め付けるタイプの音。派手に泣かせない。派手に煽らない。なのに、いつの間にか逃げ場がなくなる。
彼のスコアって、作品の世界が「正しい仕組み」に見えてしまう怖さを増幅させるんですよね。規則正しい音が、規則正しい社会を連想させる。規則正しい社会は、一見すると理想。だが逸脱した瞬間に刃になる。そういう気配が漂う。
裏側の話が面白い。なぜ今、この企画が走るのか
AIをめぐる物語は、昔からある。だけど2020年代のAI作品は、過去のSFとは温度が違う。なぜか。現実が追いついてきたからです。便利さがもう目の前にある。仕事に入ってきた。家庭にも入ってきた。つまり「もしも」ではなく「いつ」になっている。
この作品が刺さるのは、その距離感が近いから。未来の宇宙船より、今のスマホに近い。怖いのは怪物ではなく、規約に同意する指先。そんな感じ。
ノーラン監督の話もしたい。AI裁判と「時間」の感覚
ここで急にクリストファー・ノーランの話をしたくなる。なぜかと言うと、AI裁判の怖さって「時間」の扱いに出るからです。ノーラン作品は、時間を分解して並べ替えて、観客の認知を揺らす。『インセプション』や『TENET』のように、理解したつもりの足場がスルッと崩れる。
AI裁判も似ている。人間は本来、時間をかけて迷い、揺れ、後悔する。その遅さが、倫理の一部になっている。ところがAIは、遅さを美徳だと思わない。最適解を秒速で出す。ここで、時間のズレが生まれる。人間の後悔が追いつかない。
あなたは「早く終わる裁判」に安心しますか。それとも「時間をかけた迷い」に救われますか。どっちも欲しい。だからこそ揉める。作品が面白くなる。
この映画が好きな人に刺さりやすいポイント
- AIや監視社会ものが好き
- 法廷ものの緊張感が好き
- 家族ドラマで胃が痛くなるタイプ
- 正しさの暴力にモヤる
逆に、説明が丁寧で一本道の物語が好きな人は、少し疲れるかもしれない。情報のテンポが速い場面がある。だが、その疲れがテーマと直結しているので、私は割と許したくなる。甘いかな。
メリットとデメリットを勝手に整理する。AI裁判の現実味
メリット。理想としては確かに魅力
- 判決の地域差や担当者差を減らせる可能性
- 手続きの高速化で、冤罪リスクの一部が減るかもしれない
- 証拠整理や過去判例の参照はAIが得意
デメリット。ここからが本番
- データが偏れば、結論も偏る。しかも偏りが見えにくい
- 説明責任が消える。誰が謝るのか問題
- 社会がAIに合わせてしまい、人間側が痩せていく
本作は、このデメリットの方向にちゃんと目を向ける。だけど、単純な反AIの旗は振らない。そこが好み。
観た後に引きずるテーマ。正しさの値段
AI裁判の核心は「正しいかどうか」ではなく、「正しさを誰が持つのか」です。人間が持つ正しさは、汚れている。偏る。揺れる。でも、汚れているからこそ責任も取れる。AIの正しさは、綺麗に見える。だが、綺麗なまま責任を取らない。
この作品を観ていると、正しさがどんどん商品みたいに見えてきます。安く、早く、均一で、返品不可。そんな正しさ、欲しいですか。私は怖い。でも、忙しいときほど欲しくなる。ここが人間の弱さで、作品の刺さりどころ。
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AIと倫理の胃痛セット
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- 『her/世界でひとつの彼女』 優しさが一番危ない、という話
法と正義の温度差が好きなら
- 『評決のとき』 正義が簡単に曲がる瞬間の怖さ
- 『スポットライト 世紀のスクープ』 正しさを支えるのは地味な執念
ノーラン系の「認知が揺れる」方向へ行きたい人へ
- 『インセプション』 夢の階層より、人間の言い訳の階層が深い
- 『メメント』 記憶が崩れると、正義も崩れる
おまけ。観る前に知っておくと楽しい視点
- 登場人物が「AIをどう呼ぶか」に注目。呼び方が距離感になる
- 説明台詞が出たら、情報そのものより「誰が得する説明か」を見る
- 家族の会話シーンは、事件より怖いことがある。心して
観終わったあと、スマホの通知音がちょっと冷たく聞こえたら勝ち。そういう映画です。