もしも、明日になったら今日の恋を忘れてしまうと分かっていたら、人はどこまで本気になれるのだろうか。
この問いを、真正面から、しかも逃げ場のない形で突き付けてくる作品が「今夜、世界からこの恋が消えても」だ。
いわゆる純愛映画である。
だが、涙を誘うためだけに作られた映画ではない。
むしろ静かだ。
驚くほど静かに、感情を削ってくる。
物語の入口は驚くほどシンプル
転校生。
嘘から始まる関係。
そして一つの秘密。
設定だけを並べれば、どこかで聞いたことがあるように思える。
だが、この映画はその既視感を、丁寧に裏切っていく。
ヒロインが抱えるのは、前向性健忘という病。
眠ると、その日の記憶が消えてしまう。
ロマンチックだろうか。
実際は、かなり残酷だ。
忘却が前提の恋愛という地獄
毎朝、ゼロから始まる。
昨日の自分の感情を、今日の自分は知らない。
好きになった理由も。
嫌いになった理由も。
だから、日記に頼る。
言葉に縋る。
だが感情は、文字ほど整然としていない。
このズレが、観る側の胸をじわじわ締め付ける。
あなたは、毎日初対面になる恋人と向き合えますか。
主演二人の演技が生む説得力
主人公を演じるのは、道枝駿佑。
誠実さと不器用さが同時に滲む演技は、この役に驚くほど合っている。
ヒロイン役は、福本莉子。
記憶を失うたびに、微妙に変わる表情のトーン。
その差を演技で描き分けている点が見事だ。
過剰に泣かせにこない。
だからこそ、刺さる。
監督の演出が徹底して控えめな理由
監督は、[三木孝浩](chatgpt://generic-entity?number=2)。
恋愛映画を撮らせたら安定感のある人物だ。
本作でも、カメラは騒がない。
音楽も前に出すぎない。
その代わり、沈黙を信じている。
言葉がない時間が、感情を語る。
音楽が感情を説明しすぎない美しさ
主題歌は、YOASOBIによる楽曲。
歌詞は物語に寄り添いながらも、解釈を限定しない。
劇中音楽も同様だ。
泣いていいですよ、と指示してこない。
それが逆に、涙腺を刺激する。
この映画が優しい理由
この物語には、悪人がいない。
誰もが、自分なりに必死だ。
嘘をつく理由も。
距離を取る理由も。
全てが理解できてしまう。
それが、苦しい。
よくある感動作と何が違うのか
奇跡は起きない。
都合のいい展開もない。
あるのは、選択だけだ。
一日一日をどう生きるか。
そして、その選択が翌日には忘れられるという現実。
この冷たさが、作品を一段深い場所へ連れていく。
少しだけユーモアが救いになる
重たい設定の中に、ささやかな笑いが差し込まれる。
会話のズレ。
ぎこちない距離感。
この軽さがあるから、最後まで観られる。
これは計算だ。
裏側にある原作の力
原作小説の構造が、映画向きだったのも大きい。
日記という装置。
時間の断絶。
映像化によって、その残酷さがより明確になった。
この映画が刺さる人、刺さらない人
記憶より感情を信じたい人には、深く刺さる。
合理性を重視する人には、少し辛いかもしれない。
だが、どちらが正しいかを決める映画ではない。
もしこの映画が好きなら
君の膵臓をたべたい
限られた時間と向き合う感情の描き方が近い。
50回目のファースト・キス
記憶と愛情の関係を別角度から描いた作品。
秒速5センチメートル
すれ違いと余白の美しさが共通している。
個人的な偏見と本音
正直に言う。
この映画を軽い恋愛映画だと思って観ると、痛い目を見る。
これは、忘れることを前提にした人生の話だ。
恋愛を通して、生き方を問う作品である。
記憶に残らなくても、意味はあるのか。
この問いが、観終わった後もしばらく消えない。
今夜、世界からこの恋が消えても。
それでも人は、恋をする。
その事実だけで、この映画は十分すぎるほど価値がある。
